「競争の原理」(苦しみ)と「切磋琢磨」(向上) - 二宮金次郎の「たらいの水のたとえ」


幸福の種を撒いて育てる


2023年8月

他人との比較
大川隆法著『幸福の原点』に次のように書かれています。

 

「赤ん坊は、ときどき、一人でにこにこと笑っていることがあります。こういうときには、天上界の高級霊たちの笑顔を見て喜んでいることが多いのです。生まれ落ちたばかりのときには、素直な心であるため、このような霊視ができることがよくあります。….. しかし、だんだん、この世になじんでくると、そういう世界が分からなくなってきます。そして、地上の世界こそがすべての世界であると思って生きていくようになります。」(『幸福の原点』第2章)

私たちの魂は、それぞれ天国から、お母さんの子宮の中の赤ちゃんに宿るので、人は皆、素直で穢れのない魂を持って生まれてくるのです。

「そして、やがて他人との比較ということが頭をもたげてきます。….. この他人との比較ということを通して、やがて、不平不満を持ち、心がすさんでいく人が出てきます。早くも、ゼロからスタートした人生であるということを忘れ、この世が自分の永遠のすみかであるかのように誤解しはじめるのです。」(『幸福の原点』第2章)

ある中学校の年配の先生が「警察から女の子が万引きをしたという連絡があり、引き取りに行き、学校に帰って話をしたら、その子は『友達は皆持っているのに、私の家は貧乏なので買えない。だから店から盗った。そんな社会が悪い。』と言ったのです。以前は皆『ごめんなさい。もう二度としません。』と謝ったものでしたが ….. 」と、しみじみ話されたことを覚えています。

他の人と比較して、自分の環境の悪さを理由に盗みを働き、それを正当化する ….. 「人のものを盗ってはいけない」ということさえ、人間の理屈によって分からなくなっています。子供たちは善悪を教えてもらえていないのです。

人はそれぞれ自分に合った環境を選び、その中で様々な課題に挑戦し、魂を向上させるために生まれてきます。社会や他者のせいにすると、自分の課題を解決することは出来ず、自分の魂を向上させることもできません。魂の向上とは、より神(仏)に近い感じ方や考え方が出来るようになるということで、神の目から見た善悪を考えることはとても大事なことです。

又、大川先生は同書のなかで、次のように書かれています。

「結局、『他人との比較の部分に苦しみが生まれる』ということを知っていただきたいのです。大人になると、この他人との比較は二つの意味合いを持つようになります。一つは、『競争の原理』ということです。『他者との競争』という面があります。もう一つは、『切磋琢磨』という面です。このどちらを重視して考えるかによって、その人の人生は大きく変わってくるのです。」「他人との上下の感覚だけで物事を考えはじめると、人生は苦しみの面が多くなっていきます。しかし、切磋琢磨という方向を強く見ていったときには、大いなる福音が出てくるのです。」(『幸福の原点』第2章)

人は自身の魂の向上のために、一番良いと思われる環境を選んで生まれてきます。自身の環境を受け入れ、違った環境で育った他者と切磋琢磨し、お互いの魂が向上するよう努力したいものです

                    

足ることを知る
「『自分の人生の出発点はゼロからのスタートであり、また、数十年にわたる、多くの人の導きによって、現在の自分がある』ということを知ることが、結局、『足ることを知るということにつながっていくわけです。『足ることを知る』ということは、決して、『そのままでよいではないか。何の発展もなくてもよいではないか。おまえはおまえで満足しておれ』というようなことではありません。その認識の高さ、あるいは観の転回ということによって、新たな世界が見えてきます。….. こういう観の転回をせずして、ほんとうの意味で、自分の人生の意味を発見することはできません。』」(『幸福の原点』第2章与える愛について)

 

私たちは皆裸で生まれてきて、様々な人たちのお陰で今日の自分があります。サポートしてくれた人々への感謝の気持ちで、他の人々の幸せを願った生活をすることで、自分自身も幸せになれるのです。

二宮尊徳(金次郎)(1787−1856)は経世済民を目指し、農村復興政策を指導した人で、その教えの一つに「たらいの水のたとえ」があります。「たらいの中の水を自分の方に引き寄せようとすると向こうへ逃げてしまうのだけれども、相手にあげようと押しやれば自分の方に戻ってくる。」というものです。

七代目子孫の中桐万里子さんは、『二宮金次郎の幸福論』の中で、「人間は皆、空っぽの盥のような状態で生まれてくる。つまり、最初は財産も能力も何も持たずに生まれて来る。そして、そのたらいに自然やたくさんの人たちが水を満たしてくれる。その水の有難さに気づいた人だけが他人にもあげたくなり、誰かに幸せになってほしいと感じて水を相手の方に押しやろうとする。….. (幸せを)他人に譲ってもまた戻ってくるし、絶対に自分から離れないものだけれども、その水を自分のものだと考えたり、水を満たしてもらうことを当たり前と錯覚して足りない、足りない、もっともっととかき集めようとしたりすると幸せが逃げていく。」と、この例え話を解説されています。

 

他の人々から頂いたものに感謝し、他の人を幸せにしようと努力することで、自分自身も本当の幸せを手に入れることが出来る、ということを知ることが大事です。



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